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慶枝の系譜



 

桂慶枝ヒストリー1

 

 

1961年(昭和36年)6月26日

滋賀県大津市に生まれる  

生後まもなく大阪府茨木市へ


 

 

桂慶枝ヒストリー2

 

 

電車が大好きだった

父に自転車で新幹線鳥飼基地まで

連れてもらう

たくさんの新幹線が並んでいた

暑い日だった

帰りにカルピスを買ってもらった

私を乗せて懸命に自転車をこぐ父の姿

まだ舗装がされていない砂埃の舞う道

よく覚えている

 


 

桂慶枝ヒストリー3

 

 

新幹線に乗りたい

その子どもの思いを叶えるため

父親は新大阪駅へ連れて来てくれた

座席に座って記念写真も撮った

発車のベルが鳴る

その時「降りろ!」父は速やかに私を降ろした

 


 

桂慶枝ヒストリー4

 

 

1970年(45年)大阪万博が行われた

茨木市の私が住んでいたアパートから

次々とユニークな建物が出来てくるのが見えた

どんな風になってるのか見てみたい

茨木駅からタクシーに乗って

万博会場へ行った 

こんなに長い時間

タクシーに乗って大丈夫?

工事中の万博会場より

タクシー代が800円もかかったのを

覚えている

 


 

桂慶枝ヒストリー5

 

 

大阪万博で茨木市はすごく開けた

万博には45回行った

新潟からいとこのよっちゃんも見に来た

その事を「よっちゃん万博へ来る」

と作文

茨木市の作文コンクールで入賞した

 


 

桂慶枝ヒストリー6

 

茨木市立春日小学校小学校4年生の時

大好きだった茨木市を離れて

滋賀県草津市へ

草津市立老上小学校へ転校

「おまえ、団地屋?」

意味がわからなかった

どうやら団地に住んでいるのか

聞いているよう

その方言と田舎暮らしが馴染まなかった

友だちが出来ず

先生の勧めで郷土クラブに入った

まず地域の事を知るためだった

炎天下、みんなはプールで遊んでるが

鍬と何も言わんシャベルを持って

古墳の土器を掘りに行った


 

 

桂慶枝ヒストリー7

 

 

茨木の小学校では人気者だったのに

草津に来ていじめられていた

中学に入ったら自分を変えたい

ホームルームで落語をした

ウケた

みんなの見る目が変わっていった

 


 

桂慶枝ヒストリー8

 

 

草津市立草津中学校で一気に

落語に目覚め

高校進学も落研のある

滋賀県立大津商業高校へ

ほてい亭万吾という芸名で

学園祭などで大活躍

MBSテレビの『素人名人会』にも出演


 

桂慶枝ヒストリー9

 

 

大学でも落語をしたくて京都学園大学の落研へ

小豆亭あらしという芸名で古典と自作の二刀流

あこがれの師匠方とご一緒できると思い

ABCテレビの『浪花なんでも三枝と枝雀』出演


 

桂慶枝ヒストリー10

 

『浪花なんでも三枝と枝雀』半年間出演

最終回の収録の後の打ち上げで

両師匠の前で落語をした

師匠三枝が「おもろいやないか、

君落語家になりたいと思わんか?」

と聞いて来た

思わず

「夢みたいなこと言わんといて下さい」と返してサインをおねだりした

「夢から始まる 桂三枝」

と書かれていた

この番組出演が桂三枝入門の

キッカケとなる


──人生第2章  桂慶枝へ至る