パペット落語

【心斎橋筋2丁目劇場】でテレビに出だした人気者の若手漫才師の間に入ってもがいている落語家がいた。
それが、笑福亭鶴笑と桂三風だった。
私は、ピン芸でヤクザのひとりコントをしたり、その時その時のニュースをショート落語にして悪戦苦闘。
鶴笑は、どうしても聞いてくれない若いお客さんに人形を使って落語を演じ始めた。
そののち私は、客席参加型落語をあみ出し。
鶴笑は、パペット落語で【なんばグランド花月】や【梅田花月シアター】で出番をもらうようになった。
当初、先輩師匠方からどちらも邪道扱いされていたが、鶴笑はやり続けた。
そして、活動を海外にまで広げ。
とうとう文化庁の文化交流大使になった。
今思えば、私も先輩師匠方からどう言われようが争っていけばよかったが…
彼ほどの熱意がなかった。
人生、勝負に出る時は遠慮せずに出なければ。
パペット落語の第一人者になった鶴笑師匠を尊敬しています。